式子内親王(1149-1201)は後白河天皇の皇女。10歳ごろ賀茂の斎院に卜定され、10年余りを神に仕えて過ごした。斎院は神の妻に准じる存在——**人と恋をすることが禁じられていることが、職務そのもの**だった。退下ののちも保元・平治の乱から源平合戦へと続く動乱を皇族として生き、兄・以仁王は平家打倒の兵を挙げて敗死。彼女自身は晩年出家し、生涯独身を通した。歌は藤原俊成(定家の父)に学び、新古今時代を代表する女流歌人となった。俊成が歌論書『古来風躰抄』を捧げた相手でもある。
この歌は「忍ぶる恋」の題詠(お題詠み)である。しかし千年間、誰もこれを机上の練習とは読まなかった——恋を禁じられて生きた彼女の実人生が、題詠の枠を突き破って響くからである。静かな呼びかけ「玉の緒よ(私の命の糸よ)」から、突然「絶えなば絶えね(切れるなら切れてしまえ)」と命への命令形が噴き出す。理由は下句にある。生きながらえれば、忍ぶ力の方が先に弱って、想いが露見してしまうから。**普通の恋歌は「想いを伝えたい」と詠む。この歌は真逆で、想いを伝えてしまうくらいなら命の方を終わらせてくれと詠む**——恋の成就ではなく、恋の完全な隠蔽のために命を賭ける。押さえつけられたものほど強く爆ぜる、内圧の絶唱である。
本作は前曲「来ぬ人を」(97番・藤原定家)と対になる。この89番を百人一首に選んだのは定家その人であり、後世の能『定家』は二人を秘めた恋の相手として伝える(史実の確証はないが、定家が式子のサロンに出入りした記録は『明月記』に残る)——**「待つ女の歌を詠んだ男」と「忍ぶ女の歌を詠んだ皇女」が続けて並んだ**。
玉の緒よ(式子内親王・百人一首89番)/Garu JP
名前を書いて すぐ消すノート
呼びかけたくて 飲み込んだ声
すれ違うたびに うつむくくせに
夢の中でだけ 隣にいる
言えない気持ちが 胸の中で
糸みたいに 張りつめていく
玉の緒よ 絶えなば絶えね
ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
あふれてしまう くらいなら
いっそ命よ 切れてしまえと
声にならない 声で叫ぶ
日記にさえも 書けない名前
書いてしまえば 本当になるから
友達の前で 泣きそうになって
なんでもないよと 笑ってみせた
こぼれないように こぼれないように
心に鍵を かけなおす
玉の緒よ 絶えなば絶えね
ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
気づかれるくらいなら いっそ
この命が 先に消えてと
願う夜を 重ねている
神に仕えた 皇女は
人に恋しては いけない定め
それでも胸に 灯った想いを
祈るかたちで 燃やし続けた
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
玉の緒よ 絶えなば絶えね
それでも糸は 切れないで
明日も言えない ままだとしても
あなたのいる 世界にいたい
誰も知らない この恋を
抱きしめたまま 生きていく
忍ぶることの…… 弱りもぞする……
玉の緒よ 絶えなば絶えね
ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする
切れないまま 朝が来ても
言えないままで 生きてゆく
この恋が 私のいのち
この恋が…… 私のいのち……