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小倉百人一首 第二十二番

吹くからに

文屋康秀出典:『古今集』秋下・249
吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐といふらむ
吹くからに ジャケット

現代語訳

吹くとたちまち秋の草木がしおれてしまう。なるほど、山から吹き下ろす風を「嵐(荒らし)」と言うわけだ。

決まり字:ふ

ミュージックビデオ

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歌のものがたり

Story

時代背景

平安時代前期。文屋康秀は在原業平・小野小町らと並ぶ六歌仙のひとりですが、官位には恵まれず、紀貫之には「ことばは巧みにて、そのさま身に負はず」(言葉は巧いが中身が釣り合わない)と評された「技巧の人」でした。しかしその技巧の一首だけが、千年を生き延びて今も教科書に載っています。嵐は過ぎ去るが、言葉は残る——この歌自身が、その何よりの証明です。

詠み人の想い

吹くとたちまち秋の草木がしおれるので、なるほど山風を「嵐(荒らし)」と言うのだろう。 「山」+「風」=「嵐」の漢字遊びを効かせた機知の歌。六歌仙・文屋康秀は官位に恵まれず「ことばは巧みにて、そのさま身に負はず」(貫之・仮名序)と評された「技巧の人」。その技巧だけが千年残った皮肉——嵐は過ぎるが、言葉は残る。 現代パートでは「人を萎れさせる言葉の嵐」(うわさ・陰口・冷たい目)に読み替え、「嵐は種も運ぶ」で反転、「種を運ぶ風になりたい」の決意へ。名前をつけることで恐怖を飼いならした康秀の知恵を、言葉の嵐への処し方として現代の少女たちが受け継ぐ。

歌詞にこめたもの

猛威をふるう嵐に「なるほど、だからこの名前か」と種明かしをして笑ってみせる。名前をつけることで、恐ろしいものを少しだけ飼いならす——康秀の機知の正体は、この「言葉で世界に向き合う知恵」だと私たちは読みました。 現代パートでは、人を萎れさせるもうひとつの嵐——うわさ、陰口、冷たい目——にこの知恵を重ねます。けれど嵐が運ぶのは枯れ葉だけではなく、遠くの野原の種も乗せてくる。だったら自分も、枯らす風ではなく種を運ぶ風になりたい。言葉の嵐に一番さらされている世代の少女たちが、ヘビーメタルの暴風の中でかわいくユニゾンで歌う——そのギャップ自体が「嵐の中で顔を上げて笑う」というこの曲の答えです。

歌詞

Lyrics

吹くからに(文屋康秀・百人一首22番)/Garu JP

吹き下ろす風 ひと吹きごとに

秋の草木が うなだれていく

山から風と 書いて嵐

なるほど よく言ったもんだ

しおれた野原を 見渡しながら

言葉の謎が ひとつ解ける

吹くからに 秋の草木の

しおるれば 音を立てて

むべ山風を 嵐というらん

荒らしていくから 嵐なんだと

吹くからに 秋の草木の

しおるれば 音を立てて

言葉あそびで 謎を解いて

笑ってみせた 歌人がいた

心ない声の ひと吹きごとに

うつむいていく 人がいる

うわさ 陰口 冷たい目

なるほどこれも 嵐なんだ

枯らすつもりの 言葉の風に

折れそうな日も あるけれど

吹くからに 心の草木は

しおれても 根っこは残る

嵐が運ぶのは 枯れ葉だけじゃない

荒れた土にも 次の芽が出る

言葉ひとつで 人は枯れて

言葉ひとつで また生き返る

だったらわたしも 吹くのならば

種を運ぶ 風になりたい

千年前の しゃれの効いた

三十一文字も 風に乗って

吹くからに 秋の草木の しおるれば

むべ山風を 嵐というらん

吹くからに 時代の野原を

吹き抜けて 今日まで届く

言い得て妙な その一言は

嵐より長く 生き残った

草木は毎年 生え変わるけど

言葉は千年 枯れないままで

だから選ぼう 口に出す風を

枯らす風より 育てる風を

吹くからに 世界は揺れる

だとしても 顔を上げて

むべ山風を 嵐というらん

名前をつければ 怖くないから

種を乗せた 風に変えて

笑ってみせよう あの歌人みたいに

嵐というらん…… 嵐というらん……

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