▶吹くとたちまち秋の草木がしおれてしまう。なるほど、山から吹き下ろす風を「嵐(荒らし)」と言うわけだ。
決まり字:ふ平安時代前期。文屋康秀は在原業平・小野小町らと並ぶ六歌仙のひとりですが、官位には恵まれず、紀貫之には「ことばは巧みにて、そのさま身に負はず」(言葉は巧いが中身が釣り合わない)と評された「技巧の人」でした。しかしその技巧の一首だけが、千年を生き延びて今も教科書に載っています。嵐は過ぎ去るが、言葉は残る——この歌自身が、その何よりの証明です。
吹くとたちまち秋の草木がしおれるので、なるほど山風を「嵐(荒らし)」と言うのだろう。 「山」+「風」=「嵐」の漢字遊びを効かせた機知の歌。六歌仙・文屋康秀は官位に恵まれず「ことばは巧みにて、そのさま身に負はず」(貫之・仮名序)と評された「技巧の人」。その技巧だけが千年残った皮肉——嵐は過ぎるが、言葉は残る。 現代パートでは「人を萎れさせる言葉の嵐」(うわさ・陰口・冷たい目)に読み替え、「嵐は種も運ぶ」で反転、「種を運ぶ風になりたい」の決意へ。名前をつけることで恐怖を飼いならした康秀の知恵を、言葉の嵐への処し方として現代の少女たちが受け継ぐ。
猛威をふるう嵐に「なるほど、だからこの名前か」と種明かしをして笑ってみせる。名前をつけることで、恐ろしいものを少しだけ飼いならす——康秀の機知の正体は、この「言葉で世界に向き合う知恵」だと私たちは読みました。 現代パートでは、人を萎れさせるもうひとつの嵐——うわさ、陰口、冷たい目——にこの知恵を重ねます。けれど嵐が運ぶのは枯れ葉だけではなく、遠くの野原の種も乗せてくる。だったら自分も、枯らす風ではなく種を運ぶ風になりたい。言葉の嵐に一番さらされている世代の少女たちが、ヘビーメタルの暴風の中でかわいくユニゾンで歌う——そのギャップ自体が「嵐の中で顔を上げて笑う」というこの曲の答えです。
吹くからに(文屋康秀・百人一首22番)/Garu JP
吹き下ろす風 ひと吹きごとに
秋の草木が うなだれていく
山から風と 書いて嵐
なるほど よく言ったもんだ
しおれた野原を 見渡しながら
言葉の謎が ひとつ解ける
吹くからに 秋の草木の
しおるれば 音を立てて
むべ山風を 嵐というらん
荒らしていくから 嵐なんだと
吹くからに 秋の草木の
しおるれば 音を立てて
言葉あそびで 謎を解いて
笑ってみせた 歌人がいた
心ない声の ひと吹きごとに
うつむいていく 人がいる
うわさ 陰口 冷たい目
なるほどこれも 嵐なんだ
枯らすつもりの 言葉の風に
折れそうな日も あるけれど
吹くからに 心の草木は
しおれても 根っこは残る
嵐が運ぶのは 枯れ葉だけじゃない
荒れた土にも 次の芽が出る
言葉ひとつで 人は枯れて
言葉ひとつで また生き返る
だったらわたしも 吹くのならば
種を運ぶ 風になりたい
千年前の しゃれの効いた
三十一文字も 風に乗って
吹くからに 秋の草木の しおるれば
むべ山風を 嵐というらん
吹くからに 時代の野原を
吹き抜けて 今日まで届く
言い得て妙な その一言は
嵐より長く 生き残った
草木は毎年 生え変わるけど
言葉は千年 枯れないままで
だから選ぼう 口に出す風を
枯らす風より 育てる風を
吹くからに 世界は揺れる
だとしても 顔を上げて
むべ山風を 嵐というらん
名前をつければ 怖くないから
種を乗せた 風に変えて
笑ってみせよう あの歌人みたいに
嵐というらん…… 嵐というらん……