大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠く、まだ天の橋立の地を踏んだことも、母からの文を見たこともありません。
決まり字:おほえ平安中期・一条朝。中宮彰子のサロンに紫式部・和泉式部ら才媛が集った文化の黄金期。小式部内侍は天才歌人・和泉式部の娘で、「歌は母の代作」と陰口を叩かれていた。
歌合の前、藤原定頼に「丹後のお母様への使いは戻りましたか」とからかわれた十代の少女が、即興で返した一首。「いくの」=生野/行く野、「ふみ」=文/踏みの掛詞で「母は関係ない、これは私の歌」と証明した。侮辱への怒りと、自分の言葉への絶対の自信。定頼は返歌もできずに逃げた。
親の七光り・コネと値踏みされる現代の「私」に重ねた。原典=日本史上最高のカウンターラップという解釈で、掛詞に「韻を踏む」の意味を足したヒップホップに。「疑われた分だけ強くなれる」「千年先も私は私」。