平安時代中期の作家・歌人。清原元輔の娘で、清原深養父の曽孫。橘則光と結婚して則長を生み、993年ごろから一条天皇の皇后定子に仕えた。定子のサロンで才気を発揮し、宮廷生活の見聞や「をかし」の美意識を綴った随筆『枕草子』は日本三大随筆の筆頭とされる。漢籍にも通じ、『紫式部日記』では紫式部に批判された。中古三十六歌仙の一人で、勅撰集に約15首が入る。百人一首の「夜をこめて」は『後拾遺集』所収で、藤原行成との機知のやりとりから生まれた歌。
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
夜が明けないうちに鶏の鳴き真似でだまそうとしても、函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。
決まり字:よを