平安時代中期の歌人・学者。清原深養父の孫、清少納言の父。河内権少掾などを経て、951年に梨壺の五人の一人として『後撰集』の撰集と『万葉集』の訓読にあたった。晩年に周防守・肥後守を務め、任地で没した。三十六歌仙の一人で、勅撰集に約100首が入る。屏風歌や歌合の歌を多く残し、明るく機知に富む歌風。百人一首の「契りきな」は『後撰集』の恋歌で、心変わりした女に代わって詠んだ歌。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ末の松山 波越さじとは
約束しましたね。互いに涙に濡れた袖を絞りながら、波が末の松山を越すことがないように、心変わりはしないと。
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