平安時代末期から鎌倉時代初期の女流歌人。源頼政の娘。二条天皇に仕えて二条院讃岐と呼ばれ、天皇の崩御後に藤原重頼と結婚した。後に後鳥羽天皇の中宮宜秋門院任子に再出仕し、多くの歌合に出詠、晩年に出家した。後鳥羽院歌壇で活躍し、『千載集』以下の勅撰集に約75首が入る。女房三十六歌仙の一人。百人一首の「わが袖は」は『千載集』の恋歌で、引き潮でも見えない沖の石のように乾く間もない袖を詠み、「沖の石の讃岐」と呼ばれた。
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね 乾く間もなし
私の袖は、引き潮の時にも海中に隠れて見えない沖の石のように、人は知らないでしょうが、涙に乾く間もないのです。
決まり字:わがそ