平安時代中期の公卿。関白兼家の五男。兄道隆・道兼の相次ぐ死により995年に内覧・右大臣となり、甥伊周を退けて実権を握った。娘の彰子・妍子・威子を一条・三条・後一条天皇の中宮とし、三天皇の外祖父として摂関政治の全盛を築いた。1017年に太政大臣、1019年に出家して法成寺を建立した。1018年、威子立后の宴で詠んだ「この世をば我が世とぞ思ふ望月の」の歌は『小右記』に記され、その栄華を象徴する。自筆の日記『御堂関白記』は世界記憶遺産。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思へば