平安時代末期から鎌倉時代前期の歌人・歌学者。藤原定家。藤原俊成の子。後鳥羽院に見出されて『新古今和歌集』の撰者となり、後に単独で『新勅撰和歌集』を撰進した。権中納言・正二位に至る。妖艶・有心を説いた歌論『近代秀歌』『毎月抄』を著し、『源氏物語』『土佐日記』など古典の校訂・書写に努めて多くの作品を後世に伝えた。日記『明月記』は約56年に及ぶ。小倉山荘で撰んだとされる百人一首は、彼自身の撰による。百人一首の「来ぬ人を」は『新勅撰集』の恋歌。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
来ない人を待つ私は、松帆の浦の夕凪に焼かれる藻塩のように、身も焦がれるほどに想い続けている。
決まり字:こぬ