平安時代中期の女流歌人。和泉式部と橘道貞の娘。母とともに一条天皇の中宮彰子に仕え、母と区別して小式部と呼ばれた。藤原教通・頼宗・範永らとの交際が伝えられる。1025年、藤原公成の子を産んで間もなく20代で早世し、母和泉式部が悲しみの歌を残した。勅撰集に4首が入る。百人一首の「大江山」は『金葉集』所収で、歌合の前に藤原定頼に「母に代作を頼んだのか」とからかわれ、即座に切り返した機知の歌として名高い。
大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天の橋立
大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠く、まだ天の橋立の地を踏んだことも、母からの文を見たこともありません。
決まり字:おほえ