平安時代後期の歌人。大納言源経信の子。木工頭に至ったが官位は低く、歌人として院政期歌壇の第一人者となった。白河院の命により『金葉集』を撰進し、歌論書『俊頼髄脳』を著した。伝統にとらわれない清新で自由な歌風は保守派の藤原基俊と対立しながら新風を開き、藤原俊成に大きな影響を与えた。勅撰集に約200首が入り、『千載集』では最多入集歌人。俊恵法師の父。百人一首の「憂かりける」は『千載集』の恋歌で、初瀬観音への祈りが裏目に出た嘆きを詠む。
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよはげしかれとは 祈らぬものを
つれなかったあの人が振り向いてくれるよう初瀬の観音に祈りはしたが、初瀬の山おろしよ、お前のように冷たさが激しくなれとは祈らなかったのに。
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