清原元輔(908-990)は平安時代中期の歌人で、清原深養父の孫、清少納言の父。梨壺の五人の一人として『後撰和歌集』の撰進と『万葉集』の訓読に携わり、三十六歌仙に数えられる。河内権守・肥後守などを歴任し、晩年は肥後で没した。当意即妙の機知で知られ、屏風歌や代作を多く残す。この歌も『後拾遺和歌集』恋四・770、詞書に「心変はりて侍りける女に、人に代はりて」とあるとおり、心変わりした女に対して、ある男の代わりに詠んだ代作。本歌は『古今集』の東歌「君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ」——陸奥の末の松山は「波が決して越えない」と信じられた場所で、そこを波が越えるのは「ありえないこと」、すなわち心変わりの喩えだった。互いに涙の袖を絞りながら「末の松山を波が越さないように、心も変わるまい」と誓った——その誓いを、変わってしまった相手に突きつける。
「契りきな」——約束したよなあ。頭の五音に、詰問と未練が同じ重さで乗っている。あの夜、二人とも泣いていた。濡れた袖を絞り合いながら交わした誓いは、末の松山を波が越えないのと同じくらい確かなはずだった。けれど変わったのは山でも波でもなく、相手の心のほうだった。歌は「裏切られた」とは一言も言わない。誓いの言葉をそのまま繰り返すことで、誓いを破った者にそれを聞かせる。代作とはいえ、誰かの代わりに書いたからこそ、言えなかった言葉がいちばん率直な形で残った。
この歌でいちばん惹かれたのは、「約束したよね」と繰り返すだけで、破られたことを一度も言わない強さだった。現代の景に置き換えると、夕立に追いつかれた坂道で濡れた袖を二人で絞り、「あの松より上まで波が来る日は来ない」と笑って指を切った夜になる。そしていま、同じ坂をひとりで下ると、松の根元まで潮が来ている——波が越えたことを、心変わりを言わずに景だけで見せる。サビは原歌の頭の五音「契りきな」の連呼と、結句「波越さじとは」をそのまま使い、ブレイクダウンでは「こさじ こさじ こさじとは」と掛け声にした。Bridgeでは、この歌が「誰かの代わりに書かれた歌」であることを歌う——言えない言葉を、誰かが代わりに言葉にした。恋に限らず、交わした約束を一人で覚えている夜のための曲。それがこの曲に込めた想い。
契りきな(後拾遺集/清原元輔・百人一首42番)Garu JP
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは
夕立に 追いつかれた坂道
濡れた袖を ふたりで絞った
明日 遠くへ行く君と
「あの松まで 波が来ない限り
ふたりは 変わらない」と
泣きながら 笑って 指を切った
夏が終わって 秋が来て
君の返事が 短くなって
波の音だけ 変わらずに
坂の下から 聞こえていた
契りきな 契りきな
約束したよね あの夜に
契りきな 契りきな
波は越えない はずだった
末の松山 波越さじとは
先に言ったのは 君だった
同じ坂を ひとりで下る
松の根元まで 潮が来ている
越えないはずの 波が越えて
変わらないはずの 君が変わった
潮が引いても 松の幹に
白い跡が 残ったまま
一度越えた 波のことは
無かったことに できなくて
契りきな 契りきな
約束したよね あの夜に
契りきな 契りきな
泣いていたのは 君もだろ
末の松山 波越さじとは
指切りの声が まだ聞こえる
いにしえの人も 誰かの代わりに
言えなかった言葉を 歌にした
怒りも 涙も 書かずに
「約束したよね」 それだけを
契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは
契りきな 契りきな
約束したよね あの夜に
契りきな 契りきな
それでも 松は立っている
末の松山 波越さじとは
もう一度 言ってくれ
波越さじとは……
契りきな