藤原実方朝臣は平安時代中期の歌人で、中古三十六歌仙のひとり。宮廷で華やかな恋の歌を数多く残し、清少納言と親しかったことでも知られる。のちに陸奥守として東北へ下り、その地で亡くなった。この歌は『後拾遺和歌集』恋一に、詞書「女にはじめてつかはしける」(ある女性に初めて贈った歌)として入る。千年前の、最初の恋文である。
こんなに想っていると、口に出して言うことさえできない。だからあなたは、それほどとは知らないでしょう。伊吹山のさしも草(もぐさ)は、炎を上げずに静かに赤く燃え続ける。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛けて、外からは見えないまま燃えている想いを、初めて相手に打ち明けている。言えなかったことを言う、その最初の一歩の歌である。
この歌に惹かれたのは、燃え上がる恋ではなく、炎を上げずに燃え続ける恋を歌っているところでした。「好き」のたった二文字が言えないまま、隣を歩くのが当たり前になってしまう。そんな長い片想いは、千年前も今も変わりません。そしてこれが「初めて贈った歌」だということ。言えなかった想いを、千年前の誰かは歌にして送りました。だから歌の主人公にも、会う理由だった傘を返して、言葉だけが残った夜に、初めての「好き」を送らせました。サビの「きみは知らない」が最後だけ「知っていてほしい」に変わるのは、黙って燃えていた火が、ようやく外へ飛び出す瞬間です。
かくとだに(後拾遺集/藤原実方朝臣・百人一首51番)Garu JP
きみの歩幅に 合わせるのが 癖になった
駅までの道を いつも少しだけ 遠回りした
くだらない話で 笑うきみの 横顔を
まっすぐ見られずに 信号ばかり 見ていた
明日の朝には きみは 知らない街の人
「また今度ね」が 通じる距離じゃ もうなくて
雨も降らない夜に 青い傘を 握りしめる
言いかけた言葉は 今日も 喉で くすぶる
ずっと ずっと 胸の奥で 消えない火がある
炎も 上げずに 静かに 赤く 灯ってる
灰にも ならずに
今日まで 燃えてきた
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
「好き」の 二文字さえ 言えないまま きみを見てる
こんなに 燃えている 想いを
きみは 知らない
きみが貸してくれた 傘を 返せないままでいた
返したら もう会う理由が なくなる気がして
玄関の隅で 待ちくたびれた 青い傘を
今夜 やっと 返しに来たんだ
改札の明かりが 近づくたびに 足が止まる
あと何歩で きみは 遠い人に なるんだろう
言えば 壊れるかな
言わなきゃ 消えるかな
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
きみは 知らない
ドアが閉まる前に 傘を 返した
会う理由は もう どこにも ない
ガラス越しに きみが 何か 言っている
千年前の 誰かも 言えない 夜に
初めての 歌を 送ったんだ
だから ぼくも
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
「好き」の 二文字を 今 初めて きみに送るよ
こんなに 燃えていた 想いを
知っていてほしい