藤原道信朝臣は平安時代中期の歌人で、太政大臣藤原為光の子。若くして和歌の才を認められ、藤原公任らとも親しく交わったが、正暦5年(994年)、23歳ほどで世を去った。この歌は『後拾遺和歌集』恋二・672。当時の恋は、男性が夜に女性のもとへ通い、夜明け前に帰っていくのが決まりだった。帰ったあとに贈る歌を「後朝(きぬぎぬ)の歌」と呼び、この一首もそのひとつである。「朝ぼらけ」は、夜がほのぼのと明けていくころのこと。
夜が明ければ、やがてまた日は暮れる。日が暮れれば、またあなたに会える。そんなことは分かっている。それでも、別れなければならない夜明けが恨めしい。頭では分かっていても、気持ちはついてこない。その正直さを、言い訳もせずにそのまま差し出した歌である。理屈で分かっていることと、心が受け入れられることは別だという、千年たっても変わらない人の姿がここにある。
この歌に惹かれたのは、「分かっているけれど、それでも嫌だ」という、どうしようもなく正直な一言でした。今日もちゃんと終わる。夜はちゃんと来る。分かっている。それでも朝はつらい。寝坊、白紙の課題、部活のミス、ひとりの昼休み。学生の毎日には、名前のつかない小さな困りごとがいくつも潜んでいます。この歌はそれを「がんばれ」で片づけず、「わかる」と受け止めるところから始めました。二番では、千年前にも朝が嫌いな人がいたことを明かします。好きな人の家から帰る夜明けの道で、また今夜会えると分かっていても朝を恨んだ人。朝のつらさは、千年前からずっと同じだったのです。曲は朝に始まり、学校の一日を過ぎて夕方へ、そして「明日も朝は来る」と言って、もう一度朝の「行ってきます」に戻ってきます。明ければ暮れ、暮れればまた明ける。原歌が言った繰り返しを、曲の時間でひと回りしてみせました。恨めしいままでいい。そのまま行ってきます、と言える朝を応援する歌です。
明けぬれば(後拾遺集/藤原道信朝臣・百人一首52番)Garu JP
アラーム三つ 止めた記憶がない
寝ぐせのまんま 靴下 左右ちがう
提出期限は 今日の一限目
白紙のノートが カバンの底で笑う
分かってるんだ 夜はちゃんと来る
今日だって 必ず 終わるってことくらい
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
それでも行くしか ないじゃんか
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
今日をまるごと 走り抜け
千年前にも 朝が嫌いな人がいた
好きな人の家から 帰る夜明けの道
また今夜会えると 分かってるのに
それでも朝が 恨めしいと 詠んだ
千年たっても 朝はやっぱり つらいんだ
なら みんな同じ 胸張って 寝ぼけてけ
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
千年 前から ずっと おなじ朝
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
笑えない日も 朝は来る
部活のミスが 頭を回る
昼休み ひとりで 食べた パン
窓の外ばかり 見てる 五時間目
チャイムが鳴るまで あと少し
夕方 赤い空に あくびが出る
今日も なんとか 終わったじゃんか
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
明日の分まで 笑っとけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
何度も 何度も 走り出せ
ねむい わかる
だるい わかる
こわい わかる
それでも 明日も 朝は来る
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけ
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
うらめしいまま 行ってきます
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
暮れたら きっと 笑えるさ
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
うらめしいまま 行ってきます
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
暮れたら きっと 笑えるさ
あさぼらけ あさぼらけ
あさぼらけ あさぼらけ あさぼらけ
行ってきます