参議等(源等)は平安時代中期の公卿で、嵯峨天皇の曾孫にあたる。参議にまで昇ったが、残っている和歌は多くない。この歌は『後撰和歌集』恋一に入る。上の句は、『古今和歌集』の詠み人知らずの歌「浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人知るらめや いふ人なしに」をそのまま借りた本歌取り。「浅茅生の小野の篠原」は、篠(しの)の音から「しのぶ」を導く序詞で、背の低い茅(ちがや)や細い竹が生い茂る野原を指す。
「しのぶれど」は、こらえて隠しているけれど。「あまりて」は、こらえきれずにあふれて。本歌は「言う人がいないのだから、人に知られるはずがない」と隠し通せる恋だった。この歌はその同じ上の句から始めて、「隠しているのに、どうしてこんなに恋しさがあふれてしまうのか」と、自分でも止められない思いに戸惑っている。篠原の「しの」が「しのぶ」を呼び、その「しのぶ」がこらえきれずに「あまる」。言葉が連なるように、気持ちがあふれ出していく。
この歌に惹かれたのは、本歌では隠し通せたはずの恋が、同じ言葉から始まって、隠しきれずにあふれてしまうところでした。千年前の人も、平気なふりが得意なつもりで、結局あふれてしまったのだと思います。歌詞では、原歌の「篠原」を今の河川敷の篠竹に置き換えました。篠が鳴る帰り道で隠し、送れずに消した文字の数だけあふれ、最後に風が篠を倒して、隠れる場所がなくなる。「しのぶれど」を合言葉のように繰り返しながら、隠しきれない好きを、走り出すような青春の熱さとして歌いました。
浅茅生の(後撰集/参議等・百人一首39番)Garu JP
河川敷の 帰り道 背の高い 篠竹が鳴る
自転車 押して 並んで歩く いつもの 二人
「明日 晴れるかな」なんて どうでもいい 話をして
本当に 言いたいことだけ 喉の奥で 止めてる
平気な 顔なら 得意なはずだった
なのに 君が 笑うたび 胸が 騒ぎだす
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
隠しても 隠しても
あふれて 止まらない
しのぶれど しのぶれど
誰にも 言えないまま
授業で 習った 千年前の 恋の歌
篠の原に 隠した はずの 想いが こぼれてしまう
あの時は 古くさいって 笑ってたけど
今なら わかるよ その気持ち
メッセージ 打っては消して 打っては消して
送信ボタンの 上で 指が 止まる
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
隠しても 隠しても
消した 文字の 数だけ
しのぶれど しのぶれど
あふれていく
風が 篠を 倒して 道ができる
隠れる 場所は もう どこにもない
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど
あまりてなどか 人の恋しき
隠せない 隠さない
夕焼けの 河川敷で
しのぶれど しのぶれど
君が 好きだ
しのぶれど あまりてなどか