風がならの小川の楢の葉にそよぐ夕暮れは、もう秋の気配だが、川辺の禊だけが夏であることの証なのだ。
決まり字:かぜそ藤原家隆(1158-1237)は鎌倉初期の歌人で『新古今集』撰者のひとり。定家と並び称された名手。
過ぎゆく夏への寂しさと、それを静かに受け止める涼やかさ。
現代の夏祭りの終わりに重ねた。V1=川沿いの帰り道(アイスの棒・自転車・夕陽)、V2=神社の境内(提灯・わたがし・茅の輪・「また来年」)。核の設計は3つ——①**サビ1行目に「行かないで」、3行目に「風そよぐ+7音」を置き、Drop(原典アカペラ)と同じリズムで呼応**させる ②原典単語を段階的に織り込む(ならの小川→みそぎの川→夏のしるし)③「また来年」(V2)→「また来るよ」(Bridge)→「来年また」(FC)の三段呼応で「夏は終わらず、また来る」という円環に着地。Bridgeの「遥か昔の この川辺にも 同じ顔した 誰かがいた」で千年接続(「千年前」という語は敢えて使わず「遥か昔」を採用)。
風そよぐ(新勅撰和歌集・百人一首98番)Garu JP
アイスの棒 くわえたまま
川沿いの道 自転車を押す
Tシャツの背中に 夕陽が染みて
影だけ先に 秋になる
風がふいに 涼しくなって
追い越してった 夏の後ろ姿
行かないで もう少しだけ
この夏の 続きがしたい
風そよぐ ならの小川に
花火の匂い まだ揺れてるのに
風だけが もう秋を知ってる
提灯ともる 神社の境内
わたがし持った 浴衣の子ども
茅の輪をくぐる 人の列に
「また来年」って 声が混ざる
屋台の灯りが ひとつずつ消えて
祭りのあとを 風が通る
行かないで もう少しだけ
言えなかった 言葉があるんだ
風そよぐ みそぎの川に
線香花火 落ちるみたいに
夏のしるしが 消えてゆく
終わるから きれいなんだと
大人は言うけど 認めたくない
遥か昔の この川辺にも
同じ顔した 誰かがいた
それでも風は やさしくて
「また来るよ」と そよいでいた
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける
行かないで と言いながら
手を振ってる 夏の背中に
ありがとうも 言えたらいいな
来年また 会えるように
風そよぐ 夏の終わりに
みそぎぞ夏の……
しるしなりける