平安時代後期の女流歌人。源俊隆の娘で、崇徳天皇の皇后皇嘉門院聖子に仕えた。皇嘉門院は藤原忠通の娘で、その邸である九条家に出入りし、1181年ごろの右大臣九条兼実家の歌合に出詠した。伝記の詳細は不明で、勅撰集に入る歌は『千載集』以下の9首のみ。百人一首の「難波江の」は『千載集』の恋歌で、「旅宿逢恋」の題により、難波の芦の一節(ひとよ)に一夜の契りを掛け、澪標(身を尽くし)と縁語を重ねた技巧的な歌。
難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ
身をつくしてや 恋ひわたるべき
難波江の芦の刈り根の一節のように、たった一夜の仮寝のために、私は澪標のように身を尽くして、一生あなたを恋い続けるのでしょうか。
決まり字:なにはえ