曽禰好忠(生没年未詳)は平安時代中期、10世紀後半の歌人。丹後掾(たんごのじょう)という低い官職を長く務めたことから「曽丹(そたん)」と呼ばれた。身分は低かったが歌には自負があり、円融院の子の日の宴に呼ばれもしないのに出かけて追い出された、という逸話が残る。当時の歌壇では異端扱いされたが、型にとらわれない新しい言葉づかいは後の時代に評価され、中古三十六歌仙に数えられる。この歌は『新古今和歌集』恋一・1071。由良の門は、彼が赴任していた丹後の由良川河口の海峡で、潮の流れが速く、舟が流されやすい難所として知られていた。自分の任地の海を、そのまま恋の序詞に使った。
恋の歌なのに、三十一文字の八割が海と舟である。由良の海峡を渡る船頭が、櫂をなくした。速い潮に押されて、舟はどこへ行くのか分からない——ここまでが「ゆくへも知らぬ」を引き出すための景で、恋の話は最後の七文字にしか出てこない。嘆きの言葉も、相手の姿もない。あるのは、漕ぐ道具を失った舟が潮に運ばれていく絵だけ。この恋がどうなるのか、自分にはもう決められない。決められないまま、それでも舟は進んでいる。不安と、どこか身を任せる静けさの両方が、一つの景に畳まれている。
この歌でいちばん惹かれたのは、恋の歌なのに嘆きの言葉が一つもなく、櫂をなくした舟の絵だけで「行き先の分からない恋」を言い切っているところでした。舵を失ったのは事故ではなく、たぶん自分で手放したのだと読みました。行き先を決めないまま乗ったのは自分で、潮の流れに任せたのも自分。歌詞は最終のフェリーのデッキから始めます。港の灯りが遠くなり、どこへ向かうか決めないまま乗ったのは自分だった。サビは原歌を歌ったあとに「きみに 会いたい それだけで/行き先は まだ 見えない」と続けて、序詞の海をそのまま今の海に置き直しました。流されているのか進んでいるのか、答えるのは波の音だけ。Bridgeでは、舵があれば迷わなかったと言い訳をしてから、でも舵を捨てたのはきみに向かうためだった、と言い直します。原歌は行き先を知らないと言うだけで、悲しいとも怖いとも言いません。歌詞もそれに従って、不安を言葉にせず、夜が明けたら岸が見える、で終えました。千年前に任地の海峡を恋の景にした歌人の一首を、夜のフェリーの手すりの上に置き直しました。
由良の門を(新古今集/曽禰好忠・百人一首46番)Garu JP
最終の フェリーの デッキで
港の 灯りが 遠くなる
どこへ 向かうか 決めないまま
乗ったのは 自分だった
潮の 流れに 任せて
舵を 手放した 夜
由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知らぬ 恋の道かな
きみに 会いたい それだけで
行き先は まだ 見えない
流されて いるのか 進んで いるのか
波の 音だけが 答える
舟は 揺れる 岸の ない 夜に
返事の ない 手紙を 何度も
読み返す 手すりの 上
星を 探して 見上げるくせに
読み方は 知らない
戻る 港も 着く 岸も
まだ 名前が ない
由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知らぬ 恋の道かな
きみに 会いたい それだけで
夜を 渡って いる
流されて いるのか 進んで いるのか
潮の 速さは 教えない
舟は 揺れる きみの いない 海で
舵が あれば 迷わなかった
そう 言い訳を して
でも 舵を 捨てたのは
きみに 向かう ためだった
由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知らぬ 恋の道かな
きみに 会いたい それだけで
行き先は まだ 見えない
流されて いるのか 進んで いるのか
それでも 舟は 進む
きみの いる 方へ
恋の道かな……
夜が 明けたら 岸が 見える