平安時代前期の公卿・歌人。藤原定方。内大臣高藤の子で、妹の胤子は醍醐天皇の母。924年に右大臣に昇り、邸宅が三条にあったため三条右大臣と呼ばれた。管弦・和歌に通じ、紀貫之や凡河内躬恒ら歌人を庇護した。娘は藤原兼輔の子や敦慶親王の妃となり、紫式部の曽祖父兼輔とは従兄弟にあたる。『後撰集』などに十数首が入る。百人一首の「名にし負はば」は『後撰集』の恋歌。
名にし負はば 逢坂山の さねかづら人に知られで くるよしもがな
「逢坂山のさねかずら」——その名の通りなら、人に知られず、かずらを手繰るようにあなたのもとへ行く方法があればいいのに。
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