平安時代中期の公卿。藤原忠平。関白基経の四男で、兄時平の死後に氏長者となり、左大臣を経て摂政・関白を務めた。温厚な人柄で知られ、藤原氏北家の繁栄の基礎を築いた。『延喜格式』を完成させ、日記『貞信公記』を残す。子孫からは師輔・道長らが出た。貞信公は諡号。百人一首の「小倉山」は『拾遺集』所収で、宇多上皇の大井川行幸の際、醍醐天皇の行幸を促すために紅葉に語りかけた歌。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
小倉山の峰の紅葉よ、もしお前に心があるなら、天皇の行幸までどうか散らずに待っていておくれ。
決まり字:をぐ