平安時代前期の公卿・学者。小野篁。漢詩文に優れ、「野相公」と称された。834年に遣唐副使に任じられたが、大使藤原常嗣と船の配分をめぐって争い乗船を拒否、嵯峨上皇の怒りを買って隠岐に流された。百人一首の「わたの原八十島かけて」はこの配流の際、都の人に贈った歌。840年に赦されて帰京し、参議に昇った。冥府の裁判官を兼ねたという伝説でも知られる。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣舟
大海原の多くの島々を目指して漕ぎ出して行ったと、都にいる人に告げておくれ、漁師の釣り舟よ。
決まり字:わたのはらや