藤原敏行朝臣(生年不詳-901年または907年)は平安時代前期の歌人・能書家で、三十六歌仙の一人。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の作者としても知られ、書は空海と並び称された。この歌は『古今和歌集』恋二・559。宇多天皇の母后・班子女王が主催した「寛平御時后宮歌合」(889〜893年頃)で詠まれた歌合の歌で、実体験ではなく、待つ女の立場に身を置いて詠んだ題詠と読むのが通説である。「住の江」は今の大阪・住吉の海岸で、白砂と松と寄せる波で知られた歌枕。当時の恋は昼間に人目を忍ぶのが当たり前で、夜、夢の中で恋人のもとへ通う「夢の通ひ路」だけは誰の目も届かない自由な道だと考えられていた。夢に相手が現れるのは、相手が自分を思ってくれているからだ、という信仰も生きていた時代である。
昼はしかたない。人の目がある。けれど夜は、夢の中の道は、人目を気にする理由がないはず。それなのに、あなたは夢にも来ない。「住の江の岸に寄る波」は「よる」を呼び出すための序詞だが、絵としては効いている。波は何度でも岸に寄ってくる。同じことを繰り返して、飽きずに。それに対して、あなたは一度も来ない。恨み言というには、口調が軽い。「人目よくらむ」——避けているんでしょう、と推量で言い、責めきらない。拗ねている、あるいは少し呆れている。夢は自分が見るものではなく相手が来るものだ、と信じていた時代だからこそ、来ないことがそのまま「あなたの気持ち」の証拠になる。それでも、詰め寄らない。波の音のような、同じ長さの呼吸で言って終わる。
この歌でいちばん惹かれたのは、「寄る」と「夜」を重ねた一語に、波の反復と待つ夜の反復が同時に入っていることでした。波は何度でも岸に寄る。夜は何度でも来る。あなただけが来ない。歌詞は、波の音が届く部屋でうたた寝をする今の女性に置きました。昼は知らない顔ですれちがう、それはいい。でも夢の中の道にまで、誰の目を気にしているの、という原歌の拗ね方をそのまま今の言葉にしています。八百年前は「夢に来ないのは相手が思っていないから」でしたが、今は夢が自分の頭の中のものだと誰もが知っています。それでも眠る前に「今夜は」と思ってしまうところは変わらない。その変わらなさを、波の「よる」の反復に重ねました。曲は、自分の声を何十本も重ねた合唱のような声と、長い残響のパッドで、寄せては返す波そのものを音にする方向です。「よる」を波のように何度も重ねて歌うことで、序詞を歌の骨組みそのものにしました。
住の江の(古今集/藤原敏行朝臣・百人一首18番)Garu JP
波の音の 届く 部屋で
日が 暮れるのを 待っている
昼間は 人の目の なかで
知らない顔で すれちがう
夜になれば 目を 閉じれば
夢の中で 会える
住の江の 岸に寄る波 よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ
波が 岸に 寄る 夜でさえ
夢の中の 通い道でさえ
あなたは 人目を 避けるの
夢でなら 会えるのに
眠りに 落ちて 夢の 中
波打ち際の 砂の 道
足あとは わたしの 分だけ
あなたは まだ 来ていない
寄る 波の 音の たびに
足音かと 耳を すます
住の江の 岸に寄る波 よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ
波が 岸に 寄る 夜でさえ
夢の中の 通い道でさえ
あなたは 人目を 避けるの
夢でなら 会えるのに
朝が 来て 夢は さめる
昼は また 知らない顔
それでも 日が 暮れれば
波は 寄る 夜は 来る
住の江の 岸に寄る波 よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ
波が 岸に 寄る 夜でさえ
夢の中の 通い道でさえ
あなたは 人目を 避けるの
今夜こそ 会いに 来て
よるさへや……
波が 寄る 夜を 待つ