坂上是則は平安時代前期の歌人で、坂上田村麻呂の子孫とされる。三十六歌仙のひとりで、蹴鞠の名手としても知られた。この歌は『古今和歌集』冬に入り、詞書には「大和の国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる」とある。奈良の吉野は、都の人にとって雪深い山里の代名詞だった。「有明の月」は、夜が明けてもまだ空に残っている月のこと。
「朝ぼらけ」は、夜がほのぼのと明けはじめるころ。「有明の月と見るまでに」は、まだ空に残る月の光かと見まちがえるほどに。旅先の宿で目を覚ますと、外がほの白く明るい。月の光が差しているのかと思って見ると、それは一夜のうちに吉野の里に降り積もった雪だった。驚きと、静かな感動。自分の心の動きを言葉にはせず、見まちがえた一瞬だけを歌にしている。
この歌に惹かれたのは、是則が「美しい」とも「驚いた」とも言わず、ただ月と見まちがえた一瞬だけを残したところでした。何も言わないからこそ、千年後の私たちも、同じ朝の息をのむ感じを思い出せるのだと思います。誰にでも、目が覚めたら外が真っ白になっていた朝がある。その小さな幸せを、今の町の朝と、旅先の宿で同じ雪を見た是則の朝に重ねました。まだ誰も起きていない町を、もう少しだけひとりじめしていたい。その気持ちを、ピアノと弦がきらめく、雪の朝の光のような曲にしました。
朝ぼらけ 有明の(古今集/坂上是則・百人一首31番)Garu JP
目覚ましより 先に 目が覚めた
カーテンの すきまが やけに 白い
まだ 月が 残っているのかと
毛布を はおって 窓に 近づく
車の 音も 鳥の 声も 聞こえない
カーテンを 開けたら 一面の 銀世界
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
吉野の里に 降れる白雪
月じゃなかった ひと晩で
町が まるごと 変わってた
雪の 朝ぼらけ 朝ぼらけ
まだ 誰も 知らない
はるか昔 旅の途中で
同じ朝を 迎えた人がいた
宿の 板戸を そっと 開けて
有明の 月かと 見まごう ほどに
吉野山 峰も麓も 覆った雪を
思わず 歌に 詠みあげた
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
吉野の里に 降れる白雪
足あとの ひとつもない
道が どこまでも つづく
雪の 朝ぼらけ 朝ぼらけ
はじめの 一歩を 待っている
眠ったままの 町を起こさず
しずかにひとり お湯をわかせば
やかんの湯気が 窓をくもらせ
くもりガラスに 指で輪をかく
すきまの向こう また白い朝
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
吉野の里に 降れる白雪
もう少しだけ このままで
ひとりじめ しても いいかな
雪の 朝ぼらけ 朝ぼらけ
今日が はじまる まえに
吉野の里に 降れる白雪
ひと晩だけの 月明かり