後徳大寺左大臣・藤原実定(1139-1191)は平安時代末期の公卿・歌人。徳大寺家に生まれ、藤原俊成の甥、藤原定家の従兄にあたる。左大臣にまでのぼり、詩歌管弦に秀でた当代一流の文化人として知られた。『平家物語』にも、福原遷都で荒れた旧都を訪ね、月を眺めて今様を歌う姿が描かれている。この歌は『千載和歌集』夏・161。「暁にほととぎすを聞く」という題で詠まれた題詠で、実景そのものではないが、当時の貴族なら誰もが知っていた夏の風流——夜明け前、ほととぎすの一声を聞くために眠らずに待つ——をそのまま一首にしている。
夜通し待った一声が、ようやく聞こえた。声のした方を見る。けれど鳥はもうそこにいない。あるのは、夜が明けても空に残っている薄い月だけ。この歌は「見た先に目当てのものが無い」歌である。声は一瞬、月は残る。期待して顔を向けた、その空振りの先に、思ってもいなかった別のものが静かに残っている。がっかりしたとも、月が美しいとも言わない。「ただ…月ぞ残れる」——ただ、それだけが、と言って終わる。音が消えたあとの静けさと、明けきらない空の色が、言葉の外に広がっている。
この歌でいちばん惹かれたのは、見た先に目当てのものが無く、代わりに別のものが残っている、という形そのものでした。声は一瞬で、月は残る。歌詞はいまの初夏の明け方に置きました。白みはじめた空、窓を少し開ける。遠くで一声だけ鳴いて、それきり続かない。声のした方を見る——庭の木の、高い枝。原歌をサビで歌ったあとに「声は もう どこにも なくて/薄い 月だけが 残っている」と続けて、原歌の空振りをそのまま今の空に置き直しました。二番では、もう一度鳴くのを待つあいだに空の青が増えて、月が少しずつ薄くなっていく。Bridgeでは、聞こえたのが本当に鳥だったのか、訊く相手はもういない、ただ見上げた空に月があった、それだけ、と言います。歌詞は最後まで、うれしいとも寂しいとも言いません。原歌が「ただ」の一語で済ませたものを、同じ大きさのまま残しました。八百年前の貴族が題詠で書いた夏の明け方を、窓を少し開けた朝に置き直しました。
ほととぎす(千載集/後徳大寺左大臣・百人一首81番)Garu JP
東の 空が 白みはじめて
窓を 少し 開ける
一声だけ 遠くで 鳴いて
それきり 続かない
声のした 方を 見る
庭の 木の 高い 枝
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
声は もう どこにも なくて
薄い 月だけが 残っている
朝に なりかけの 空の 端に
忘れものみたいに ひとつ
もう一度 鳴くのを 待つあいだに
空の 青が 増えていく
月は 少しずつ 薄くなって
窓の 縁に 消えかける
声は 一度 それだけで
夏の 朝が 始まる
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
声を 探した 目の 先に
薄い 月だけが 残っている
夜の 終わりと 朝の はじまりの
あいだに ひとつ
聞こえたのは 本当に 鳥だったのか
訊く 相手は もう いない
ただ 見上げた 空に
月が あった それだけ
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
一声の あとの 静けさに
薄い 月だけが 残っている
それを 見ていた 朝が あった
夏の はじめの
月ぞ残れる……
一日が 始まる