
周防内侍(生没年未詳、1037年ごろ-1109年ごろ)は平安時代後期の女房歌人。本名は平仲子、周防守・平棟仲の娘で、後冷泉・後三条・白河・堀河の四代の天皇に仕えた。この歌は『千載和歌集』雑上・964。詞書によれば、二月の月の明るい夜、二条院で人々が集まって夜通し語らっていたとき、周防内侍が物に寄りかかって「枕がほしい」と小さくつぶやいた。それを聞いた大納言・藤原忠家が「これを枕に」と、御簾の下から腕を差し入れた。その場で詠んだのがこの一首。忠家は「縁あって深い春の夜の手枕を、どうしてはかない夢で終わらせられよう」と返している。本気の恋の歌ではなく、月夜の宴の座興として詠み交わされた、当意即妙の一首である。
差し出された腕を、笑って押し返す歌。春の夜は短く、その夜の夢はもっと短い。あなたの腕を枕にしたところで、それは夢ほどの時間しか続かない。なのに、そのせいで立つ浮き名のほうは、いつまでも残る。短い夢と長いうわさを天秤にかけて、「名のほうが惜しい」と言い切った。「かひなく」に「腕(かひな)」を掛けて、断りの言葉の中に相手の腕そのものを織り込んでいる。怒ってもいないし、照れてもいない。眠たい夜に、月の明るさで冴えた頭が、その場でこれだけの歌を出してみせた。断りながら、相手を恥ずかしくさせない。それがこの歌の品のよさである。
この歌でいちばん惹かれたのは、断りの歌なのに、誰も傷ついていないところでした。差し出された腕を借りない。その理由を「夢は短くて、うわさは長い」の一言で言ってしまう。怒りも照れもなく、月の明るい夜の眠たさの中で、頭だけが冴えている。その空気を、いまの春の夜に置き直しました。誰かの家に集まって、話が二周目に入って、月が明るすぎて眠れない夜。「枕がほしい」のひとりごとを聞いていた人がいて、腕が差し出される。歌詞のサビは原歌を歌ったあとに「その腕 借りたら 朝には/夢より 長い うわさが 立つ」と続けて、原歌の天秤(短い夢と長いうわさ)をそのまま現代語にしました。そして「ごめんね 今夜は/自分の 腕で 寝る」。手枕は、人の腕でなくても、自分の腕でできます。断りの歌を、自分で自分の枕になる歌にしました。Bridgeでは、原歌が言わなかったことを一つだけ足しています。本当は少し惜しかった、月の明るい夜だから——でも惜しいのは名前のほう、と決めて目を閉じる。「惜し」という一語に、腕と名前の両方を掛けました。千年前の女房が月夜の宴で笑って返した一首を、春の夜の眠気の中に置き直しました。
春の夜の(千載集/周防内侍・百人一首67番)Garu JP
月が 明るい 夜の 二次会
話は もう 二周目に 入って
壁に もたれて あくび ひとつ
枕が あれば と ひとりごと
隣の 席から 腕が 伸びて
枕に していいよ と ひとこと
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
その腕 借りたら 朝には 朝には
夢より 長い うわさが 立つ
ごめんね 眠気なら
自分で なんとか する
夢なら 見るのも 覚めるのも
誰にも 見られず 済むけれど
うわさは 覚めない 春の夜の
月より 長く 残る
差し出された 手は ありがたく
笑って 押し返す
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
その腕 借りたら 朝には 朝には
夢より 長い うわさが 立つ
ごめんね やさしさは
受け取って 腕は 返す
本当は もう 眠たかった
月が 明るすぎる 夜だから
でも 明日の うわさは いらない
そう 決めて お茶を 頼む
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立たむ 名こそ惜しけれ
その腕 借りたら 朝には 朝には
夢より 長い うわさが 立つ
ごめんね 眠気なら
自分で なんとか する
名こそ惜しけれ……
夢は 短く 朝は 早い