▶前大僧正慈円は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、関白藤原忠通の子、九条兼実の弟にあたる。幼くして出家し、比叡山で修行を重ね、のちに天台宗の頂点である天台座主を4度務めた。歴史書『愚管抄』の著者でもある。慈円が生きたのは、源平の争乱、大きな飢饉、鎌倉幕府の成立と、世の中が大きく揺れた時代だった。「わがたつ杣」は比叡山のことで、比叡山を開いた最澄の「わがたつ杣に冥加あらせたまへ」という歌の言葉を受けている。「墨染」は僧の黒い衣で、比叡山に「住み初め(すみそめ)」た、という意味を掛けている。
「おほけなく」は、身の程知らずにも、恐れ多くも、という意味。比叡山に住み始めた一人の僧が、つらい世を生きる人々を、自分の墨染の袖で覆って守ろうと言う。僧の袖一枚で、乱れた世が救えるはずはない。本人もそれを分かっている。だから最初に「身の程知らずだが」と断る。それでも、志を小さく言い直すことはしない。謙遜の言葉で始めながら、引かない覚悟がこの歌の芯にある。
この歌に惹かれたのは、「自分の袖では足りないと分かっている。それでも覆いたい」という順番でした。舞台は、入社二年目の会議室。はじめてできた後輩が大きなミスをして、青い顔で立ち尽くしています。ついこの間まで、自分も同じ場所に立っていた。気づけば一歩前に出て、「僕が見ておくべきでした」と言っていました。自分もまだ半人前で、かばえる力なんてないのに。二番では、はるか昔にも同じことを言った人がいたことを明かします。比叡山の上から荒れた都を見下ろし、黒い衣の袖ひとつで世の中を覆うと詠んだ僧。足りないことは、誰より本人が知っていたはずです。帰りの電車で、何度も頭を下げる後輩に「いいよ」とだけ言って窓を見ると、映った黒い袖がまだ小さく震えている。それでも、明日も前に立つ。墨染の袖を、新しい場所に「住み初め」た人の袖として受け取り、半人前のまま誰かをかばう、身の程知らずな優しさを歌にしました。
おほけなく(千載集/前大僧正慈円・百人一首95番)Garu JP
おほけなく うき世の民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染の袖
入社二年目 まだ 名刺の渡し方も ぎこちない
黒いスーツの 袖口だけ 少し すり切れた
はじめての 後輩が 青い顔で 立ち尽くす
会議室の 空気が 音を立てて 冷えていく
ついこの間まで 僕も あそこに 立っていた
おほけなく うき世の民に おほふかな
気づけば 一歩 前に出てた
「僕が 見ておくべきでした」と
震える声で 言っていた
わがたつ杣に 墨染の袖
はるか昔 山に住み初めた ひとりの僧は
山の上から 荒れた都を 見下ろして
黒い衣の 袖ひとつで
世の中を 覆うと 詠んだ
足りないことは 誰より 知っていた
それでも 言わずに いられなかった
おほけなく うき世の民に おほふかな
半人前の この袖で
君の 震える 肩くらいは
覆わせてくれ
わがたつ杣に 墨染の袖
帰りの電車で 「すみません」って
何度も 頭を下げる 君に
「いいよ」とだけ 言って 窓を見た
窓に映る 黒い袖が まだ 小さく 震えていた
おほけなく うき世の民に おほふかな
今日から ここが 僕の杣
すり切れた 袖を ひろげて
明日も 前に 立つ
わがたつ杣に 墨染の袖
墨染の袖
住み初めの袖