猿丸大夫は三十六歌仙に数えられながら、実在がほぼ確認できない伝説の歌人。古今集ではこの歌は「よみ人しらず」として収録され、後世に猿丸大夫の作と伝えられた。平安初期、秋の悲哀を「もみぢ×鹿の声」で描いたこの歌は、日本人の「秋=もの悲しい」という感性を千年にわたって形づくった原点の一首。秋に鳴く牡鹿は妻を恋うて鳴く——その声は万葉の昔から孤独と恋慕の象徴だった。
人里離れた奥山、降り積もった紅葉を踏み分けて歩く静寂の中、突然響く鹿の声。妻を求めて鳴くその声の切実さに、聞く者は自分自身の孤独を重ねる。「秋は悲しき」——理屈をこねず、感情をそのまま言い切る率直さがこの歌の力。悲しさを隠さず言葉にすることが、千年前にはもう歌になっていた。
「秋は悲しき」とは、名もなき感情に付けられた"名前"だった——それがこの翻案の発見です。子供の頃、名前を知らないまま胸をきゅっとさせた秋の夕暮れのさびしさに、大人になった今、金木犀の香りの中でようやく追いつく。最後の「帰りたいね」は、あの日呼ばれて家に帰った子供の自分への、三十年越しの返事です。悲しいと言葉にしていい、と伝える歌です。
奥山に(古今集/猿丸大夫・百人一首5番)Garu JP
真っ赤な夕日が 影を伸ばす
鬼ごっこは 途中でおしまい
どこからか風が 甘くなって
カナカナの響く 帰り道
どうして泣きたく なったんだろう
あの頃は名前も 知らないまま
奥山に 紅葉踏み分け
鳴く鹿の 声がする
千年前の 誰かがつけた
「秋は悲しき」 その言葉は
あのさびしさの 名前だった
仕事帰りの 公園で
金木犀に 足を止める
カナカナの響きは あの日と同じ
胸の奥が きゅっと鳴る
おとなになるほど 季節は足早に
永遠に感じた あの日あの頃
奥山に 紅葉踏み分け
鳴く鹿も 知ってたのかな
過ぎてゆく 季節の速さ
戻れない 秋のまんなかで
恋しいと 鳴いていたのかな
悲しいって 言っていいんだ
千年前から みんな言ってた
秋の夕暮れ 悲しいって
言葉にして 生きてきた
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞く時ぞ 秋は悲しき
奥山に 紅葉踏み分け
鳴く鹿の 声が聞こえる
ひぐらしの響きも あの日の甘い風も
みんな誰かを 呼んでいる声だ
私も小さく 鳴いてみる
「帰りたいね」って それだけ
声聞く時ぞ……
秋は悲しき