春道列樹(はるみちのつらき、生年不詳-920)は平安時代前期の歌人。延喜十年(910)に文章生となり、のちに壱岐守に任ぜられたが赴任の前に世を去った。勅撰集に残る歌はわずか五首で、経歴の大半は分かっていない。この歌は『古今和歌集』秋下・303。詞書は「志賀の山越えにてよめる」。志賀の山越えは、都の北白川から比叡山の南のふもとを越えて近江の志賀寺(崇福寺)へ抜ける山道で、当時の貴族が参詣や行楽で歩いた道である。その道すがら、目に入った小さな景を一首にした。作者名も生涯もほとんど残らなかったのに、山道の川の一瞬だけが、千年のちまで残った。
山の中の川に、柵が架かっている。誰が架けたのか——風だ。そう思って近づいたら、柵ではなかった。流れきれずに溜まった紅葉だった。この歌は「見間違い」の歌である。柵と見た、風の仕業と見た、紅葉と分かった。三段の気づきが、五七五七七の中に順番どおりに並んでいて、いちばん最後の「紅葉」で種が明かされる。詠み手は驚きも喜びも書かない。ただ「なりけり」と、分かったときの息だけを残している。人の手の入らない山の中で、風が人のする仕事(柵を架けること)をしていた——その可笑しさと静かさを、感想抜きで差し出した歌。
この歌でいちばん惹かれたのは、正体を最後まで言わないところでした。柵だと思った、風が架けたのだと思った、そして最後の一語で紅葉だと分かる。歌の順番そのものが、山道を歩く人の目の動きになっています。歌詞でもこの順番を崩さないことにしました。朝いちばんのバスを降りて、舗装が途切れるところから歩き出し、川の音がついてくる。峠の手前で風が上から降りてきて、帽子を押さえた指の隙間を赤いものが抜けていく。歌詞の中では「紅葉」という言葉を一度も使っていません。「赤」としか言いません。正体を言うのは原歌の最後の一語だけです。そしてこの歌には現代語で読み替えると別の顔があります。しがらみ——いまは人と人のしがらみ、逃れられない関わりのことを言う言葉です。町を離れて山道を歩く主人公が出会う「ここのしがらみ」は、風がひと晩で組んだ柵で、水はすこし遠回りして先へ行く。そのうち風が向きを変えれば、柵はほどけて流れていく。それまで川は急がない。何も言い聞かせない代わりに、そういう景だけを置きました。千年前に名前しか残らなかった歌人が、山道で足を止めた一瞬を、朝のバスで山へ向かう人の一日に置き直しました。
山川に(古今集/春道列樹・百人一首32番)Garu JP
田んぼが 水の 鏡に なるころ
畦に 沿って 細い 川
杭を 並べて 枝を 編んだ
低い 柵が 水を 堰き止めて
田んぼへ 分けた その 残りが
音を 立てて 柵を 越えていく
土地の 人は しがらみと 呼んだ
その 名の 続きの ように
あの 歌が 水の 音に 浮かぶ
山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ 紅葉なりけり
風が 架けた しがらみを
見た 人が いる
杭も 縄も ないのに
水を 止めた しがらみを
山が 燃えはじめる ころ
鳥の 声と 足音と
沢の せせらぎ だけの 道
木立の 先の 遠い 流れに
低い 柵が 架かって 見える
こんな 山の 上にも しがらみが
近づく ほどに 杭は 消えて
静かな 流れに 赤い 葉の 列
あの 歌が 沢の 上に 重なる
山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ 紅葉なりけり
風が 架けた しがらみが
いま 足元に ある
杭も 縄も ないのに
葉だけが 水を 止めている
風が 向きを 変える ころ
しがらみは ほどけて 流れていく
溜まった 水も 一度に 下る
それまで 沢は 急がない
山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ 紅葉なりけり
風が 架けた しがらみを
歌の 人と 見ている
杭も 縄も ないのに
水を 止めた 赤い しがらみ
紅葉なりけり……
麓の しがらみは 開いていた
水は まっすぐ 冬へ 流れる