恵慶法師(えぎょうほうし・10世紀後半)は播磨の講師を務めた僧侶歌人で中古三十六歌仙の一人。この歌は河原院——嵯峨天皇の皇子・源融が贅を尽くした大豪邸の成れの果て——で、歌人たちが「荒れたる宿に秋来る」という題で詠んだ一首。かつて陸奥の塩釜の風景を再現し海水まで運ばせた日本一の庭園が、八重葎(やえむぐら=幾重にも茂る蔓草)に覆われて荒れ果てていた。
「人は誰も訪ねて来ないが、秋だけはちゃんと来てくれた」。荒廃と孤独を嘆く歌のようでいて、結句「秋は来にけり」にはかすかな慰めと発見の驚きがある。見捨てられた場所にも季節は平等に訪れる——後の侘び寂びの美学につながる感受性。嘆きを裏返すと、秋が唯一の律儀な客人に見えてくる。
誰も来ない荒れた宿に、秋だけは来た——という原歌を、秋を「客人」としてもてなす歌に発明し直しました。サビの客人は「まれびと」と歌います。遠くから稀に訪れて福をもたらす客を、日本では古くからそう呼びました。「寂しさとは客が来ないことじゃなく、客の来ない部屋を閉め切ることだ」——だから最後は窓を開けて「いらっしゃい」。孤独の歌を、孤独のもてなし方の歌に変えました。
八重葎(拾遺集/恵慶法師・百人一首47番)Garu JP
チャイムが鳴らない 休日の部屋
通知も来ない 午後三時
カレンダーの予定は 白いまま
それでも窓の外 風が変わった
誰も来ないと 思ってたのに
一番律儀な 客が来た
八重葎 しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり
誰も来なくても 秋は来る
約束もなしに 毎年来る
窓を開けて 迎えよう
今年も来てくれた 客人を
お茶を淹れて ベランダに出る
日ざしと虫の声 部屋に上がり込む
ひとりじゃないな 今日のところは
客が三人も 来てるんだから
寂しさってのは 客が来ないことじゃなく
客の来ない部屋を 閉め切ることだ
八重葎 しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり
千年前 荒れた屋敷で
同じことに 気づいた人がいる
草だらけの庭にも 分け隔てなく
秋は来ていた
かつての豪邸 八重葎
訪う人も 絶えた庭
それでも秋は 忘れずに
その年も門を くぐってきた
八重葎 しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり
誰も来なくても 秋は来る
千年前の庭にも この部屋にも
窓を開けて 迎えよう
いらっしゃい って言ってみよう
人こそ見えね……
秋は来にけり