儀同三司母(高階貴子、生年不詳-996)は平安時代中期の女流歌人。高階成忠の娘で、円融天皇の代に内侍として仕え「高内侍」と呼ばれた。漢詩文にも通じた才女で、藤原道隆の正妻となり、伊周・隆家・定子(一条天皇中宮)を生んだ。「儀同三司」は息子・伊周の称。この歌は『新古今和歌集』恋三・1149、詞書「中関白通ひそめ侍りけるころ」——道隆が通い始めたころ、つまり結婚の初めに詠んだ歌。「忘れじ」は道隆が言った「決して忘れない」という誓いの言葉を、そのまま歌の頭に置いたもの。のちに道隆は関白まで昇り、しかし995年に急死、翌年には伊周・隆家が失脚して中関白家は没落する。幸せの絶頂で「この幸せは続かない」と詠んだ歌は、結果として一族の運命を言い当てたことになる。
「忘れない」と言われた。いちばん幸せな夜のはずなのに、その言葉を聞いた瞬間に、先のことが怖くなる。ずっとなんて、誰にも約束できない。だから今日が最後でいい——「今日を限りの命ともがな」は、死にたいのではなく、幸せのまま時間が止まってほしいという願い。相手の誓いを疑う歌ではなく、誓いがどれほど重いかを知っている人の歌。喜びと不安が同じ夜に同じ大きさで来る、その瞬間を五七五七七に閉じ込めた。
この歌でいちばん惹かれたのは、「忘れない」と言われて幸せなのに、その言葉が怖い、という矛盾でした。現代の景に置き換えると、帰り道の駅のホームで「ずっと忘れない」と言われた夜。うれしいはずの言葉が少し怖くて、「ずっとって、どこまでだろう」と考えてしまう。サビは原歌をそのまま歌ったあとに「今日が最後でもいいと思えた/それくらい幸せな夜だった」と自分で訳し、結句を「今日を限りに」の連呼にしました。先のことは誰にも分からない。だから約束はいらない、今日があればいい——その代わり「今日のことだけは覚えていて」と一つだけ願う。Bridgeでは、いにしえの人も同じ夜に「忘れない」と言われて、うれしすぎて先が怖くて、今日で終わってもいいと歌ったことを言葉にしました。恋に限らず、いちばん幸せな瞬間に「これが続かないこと」を知ってしまう人のための曲。それがこの曲に込めた想い。
忘れじの(新古今集/儀同三司母・百人一首54番)Garu JP
「ずっと忘れない」と 君が言った
終電前の 駅のホームで
うれしいはずの その言葉が
少しだけ 怖かった
ずっとって どこまでだろう
来年の今日も 言えるのかな
先のことは 誰にも分からないから
忘れじの 行く末までは かたければ
今日を限りの 命ともがな
今日が最後でも いいと思えた
それくらい 幸せな夜だった
明日のことは 明日に置いて
今日を限りに 今日を限りに
写真を撮って 髪を直して
終電が来るまで あと三分
いつか忘れる日が 来るとしても
今日のことだけは 覚えていて
ずっとって 言わなくていい
今日だけ ほんとなら それでいい
先のことは 誰にも分からないから
忘れじの 行く末までは かたければ
今日を限りの 命ともがな
今日が最後でも いいと思えた
それくらい 幸せな夜だった
約束はいらない 今日があれば
今日を限りに 今日を限りに
いにしえの人も 同じ夜に
「忘れない」と 言われて泣いた
うれしすぎて 先が怖くて
今日で終わっても いいと歌った
忘れじの 行く末までは かたければ
今日を限りの 命ともがな
明日 忘れられても 構わない
それくらい 幸せな夜だった
終電が来る 手を振る
今日を限りに 今日を限りに
命ともがな……
今日を限りに