良暹法師は比叡山の僧で、晩年は京都・大原の草庵に隠棲しました。この歌はその大原での作とされます。寂しさから逃げようと庵の外へ出たのに、どこを見ても同じ秋の夕暮れが広がっていた——逃げ場のなさを詠んだ歌のようでいて、不思議な静けさがあります。 「どこも同じ」と知った瞬間、寂しさは自分だけのものではなくなる。夕暮れは、すべての人の上に平等に降りている。後の「三夕の歌」に先立つ、秋の夕暮れ詠の名作です。
- 良暹は比叡山の僧で、晩年は大原に隠棲。この歌は大原の草庵での作とされる - 寂しさから逃げようと外へ出たが、どこにも逃げ場はなかった——だが絶望ではなく、「どこも同じ」と知った時の不思議な静けさ・普遍性への気づきがある - 三夕の歌に先立つ「秋の夕暮れ」詠の代表作
壁ばかり見てた部屋を出て、行くあてもなく夕方の街を歩く——現代の孤独から、この歌は始まります。コンビニの灯り、駅前の雑踏、イヤホンの中に隠れてすれ違う人たち。みんな一人で、同じ夕陽に染まっている。 サビの構造は原典の「どこも同じ」の三段変化です。1番「この寂しさから逃げても 行く先も夕暮れ」(逃げ場のなさ)、2番「隠れる場所をさがしても 夕暮れに見つかってしまう」(夕暮れが優しい追っ手になる)、そしてFinal——「この寂しさは 僕だけのものじゃない 同じ空の下 誰かがいる」。 Bridgeでは暮れゆく大原の草庵に触れます。戸を開けて出た人の「どこも同じ」というつぶやきは、少し笑ってた気がする——良暹の諦観のなかにあるユーモアを、夕焼け色のブラスに乗せました。
さびしさに(後拾遺集/良暹法師・百人一首70番)Garu JP
壁ばかり見てた 部屋を出た
夕方の風が 頬にふれる
行くあてなんて ないけれど
ここにいるより ましだった
逃げるように 歩いた道の
突き当たりで 空が燃えてた
さびしさに 宿を立ち出でて
眺めても どこも同じ
秋の夕暮れが 降るだけ
この寂しさから 逃げても
行く先も 夕暮れ
コンビニの灯り 駅前の音
すれ違う人も みんな一人
イヤホンの中に 隠れて
同じ夕陽に 染まってた
誰も彼も 帰る場所へ
急ぐふりして 迷ってる
さびしさに 宿を立ち出でて
眺めれば どこも同じ
秋の夕暮れが 街を包む
隠れる場所を さがしても
夕暮れに 見つかってしまう
暮れゆく大原 草の庵を
戸を開けて 出た人がいた
「どこも同じ」と つぶやいた声は
少し 笑ってた気がする
さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ
さびしさに 立ち止まる日は
見上げてみて どこも同じ
秋の夕暮れが 降っている
この寂しさは 僕だけのものじゃない
同じ空の下 誰かがいる
いづこも同じ……
秋の夕暮れ