法性寺入道前関白太政大臣・藤原忠通(1097-1164)は、平安時代後期に摂政・関白・太政大臣を歴任した藤原氏の氏長者。書にも優れ、その書風は法性寺流と呼ばれた。保元の乱(1156年)では後白河天皇方について勝者の側に立った人物でもある。この歌は『詞花和歌集』雑下・382。まだ崇徳天皇が位にあった頃、御前の歌会で「海上遠望」(海の上を遠く眺める)という題を与えられて詠んだ題詠で、実際に舟を出して詠んだ歌ではない。「わたの原」は大海原、「久方の」は空や雲にかかる枕詞。都の貴族にとって大海原は遠い世界で、だからこそ、舟を漕ぎ出して視界がひらける瞬間が大きな絵として詠まれた。
岸を離れ、漕ぎ出して、顔を上げる。目の前にあるのは海と空だけ。沖に立つ白い波が、空の白い雲とひと続きに見えて、どこまでが海でどこからが空なのか分からない。歌はそれを言うだけで、広いとも美しいとも言わない。「まがふ」(見まちがえる)の一語に、見ている人の目が一瞬とまどう感じが入っている。そして「沖つ白波」と名詞で止めて、あとは景色に任せる。大きな景色の前で、言葉を足さない歌である。
この歌の核は「まがふ」(見まちがえる)の一語です。原歌は広いとも美しいとも言わず、白波と雲の境が消える一瞬だけを差し出して、「沖つ白波」と名詞で止めます。私たちはこの「言わずに見せる」姿勢を、歌の構成そのものに移しました。漕ぎ出すまでは、砂を蹴る足、ひとつ水を掻く櫂、遠くなる岸の声と、体の動きと音だけで描き、境目が消える景色はサビまで一度も言いません。二番で寄せてくる白いものは、舟を揺らしてゆっくり引いていくだけで、それが波なのか雲なのかは書きませんでした。水平線を探せば、海の照り返しに目がくらむ。見えない理由を光に預けて、答えをサビに渡します。サビでは原歌のあとに「空の雲と 境がほどける/海と空が ひとつになる」と、見まちがいを境目がほどけていく動きとして今の言葉に直しました。一番見せたいものは、最後まで取っておいて一度だけ見せる。それがこの叙景歌への私たちの答えです。
わたの原 漕ぎ出でて(詞花集/法性寺入道前関白太政大臣・百人一首76番)Garu JP
砂を蹴って 舟を押す
櫂が 水を ひとつ掻く
岸の声が 遠くなる
漕いで 漕いで 沖へ出る
顔を上げて 見わたせば
わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の
雲居にまがふ 沖つ白波
大海原 漕ぎ出して見れば
沖に立つ 白い波が
空の雲と 境がほどける
海と空が ひとつになる
櫂を上げる
雫が落ちる
舟は流れに まかせる
白いものが 寄せてくる
舟を揺らし
ゆっくり引いてく
水平線を 探しても
光に 目がくらむ
わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の
雲居にまがふ 沖つ白波
大海原 漕ぎ出して見れば
沖に立つ 白い波が
空の雲と 境がほどける
海と空が ひとつになる
わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の
雲居にまがふ 沖つ白波
雲の影が 海をわたる
白波が 後を追いかける
わたの原 漕ぎ出でて見れば 久方の
雲居にまがふ 沖つ白波
大海原 漕ぎ出して見れば
沖に立つ 白い波が
空の雲と 境がほどける
海と空が ひとつになる
沖つ白波