伊勢大輔(いせのたいふ)は伊勢神宮の祭主を代々つとめる大中臣家の娘で、一条天皇の中宮彰子に仕えた女房。紫式部・和泉式部・赤染衛門と同じ後宮にいた、平安中期の才女のひとり。この歌には実話がある。奈良の興福寺から宮中へ八重桜が献上された日、受け取り役は本来紫式部だったが、式部は新参の伊勢大輔にその大役を譲った(藤原道長の指名とも)。満座の注目の中で即興に詠まれたのがこの一首で、居並ぶ人々を唸らせ、大輔の名を一気に高めた。『詞花和歌集』春・29。
「遠い昔の奈良の都に咲いていた八重桜が、今日はこの九重の宮中で、ひときわ美しく咲き誇っていることよ」。「いにしへ/けふ」「奈良/九重」「八重/九重」の三重の対比を一瞬で組み上げた、機知の頂点のような歌。だが技巧の裏にあるのは、突然舞台の真ん中に立たされた新人の震える手である。この桜は献上された花であると同時に、今日ここで咲いてみせるしかない大輔自身でもある。逃げ場のない晴れ舞台を、笑って引き受けた歌。
かおるの注文は「女性の声で歌う応援歌」。この歌を選んだのは、千年前の実話そのものが応援歌だったからだ。誰かに大役を譲られて、震えながら咲いてみせた新人——その姿を、今日が「その日」の誰かに重ねた。歌詞で一番こめたのは「震えることと高鳴ることは同じ鼓動でできている」という一行。緊張を敵にしない、震えごと咲いてしまえばいい、という肯定。もうひとつは「誰かがあなたに譲った場所は『あなたならできる』の合図だよ」——紫式部が大輔に譲ったように、誰かが席を空けてくれるとき、それは信頼の証だと伝えたかった。サビ1でだけ原歌を「けふ咲き誇れ」と号令に変え、Dropで原歌全文を聖歌のように置いた。つぼみのまま終わるより、開く痛みを選ぼう——クロコとかおるが、これから舞台に立つ人へ贈る一曲。
いにしへの(詞花集/伊勢大輔・百人一首61番)Garu JP
鏡の前で 深呼吸ひとつ
おろしたての靴 ひもを結ぶ
今日がその日だね 空も晴れてく
ふるえる手のひら 握りしめてる
積み重ねた日々は 裏切らないから
だいじょうぶ 胸を張っていい
いにしへの 奈良の都の
八重桜 けふ咲き誇れ
千年前の 花のように
あなたの時が いま開いてく
今日の光は あなたのもの
誰かがあなたに 譲った場所は
「あなたならできる」の 合図だよ
肩をたたいた 手のぬくもり
背中を押して くれている
震えることと 高鳴ることは
同じ鼓動で できている
いにしへの 奈良の都の
八重桜 けふ九重に
昔のあなたの 涙もぜんぶ
今日の花びらに なっている
胸を張って 咲けばいい
うまくいくかは わからない
それでもいいんだ
つぼみのままで 終わるよりも
開く痛みを 選ぼう
いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな
いにしへの 奈良の都の
八重桜 けふ九重に
千年たっても 花は咲くから
あなたの春も 何度でも来る
ふるえごと 咲いてしまえばいい
にほひぬるかな……
今日の光の 真ん中で