崇徳院は保元の乱(1156年)に敗れて讃岐へ流され、都への帰還を願いながら叶わぬまま崩御した悲劇の帝。死後は日本三大怨霊に数えられるほど、その無念は語り継がれた。落語「崇徳院」の題材でもあり、一枚札「せ」としてかるた競技者に最もよく知られる歌のひとつ。
川の流れが岩で二つに裂かれても、必ず末には一つになる——「われても末に 逢はむとぞ思ふ」は、引き裂かれた恋人への、あるいは引き裂かれた自らの運命への、絶対にあきらめないという意志の宣言である。そして本人は、誰とも再会できないまま海の向こうで生涯を終えた。
「われても末に逢はむとぞ思ふ」と詠んだ崇徳院自身は、誰とも再会できないまま海の向こうで生涯を終えました。だからこの曲では、院が果たせなかった再会を現代の二人に果たさせています——原歌への返歌の構造です。「逢はむとぞ思ふ」という意志がラスサビで「逢えたから」という成就に変わる瞬間が核心。理屈抜きの一途さには青春パンクの直球が同じ体温だと信じて書きました。
瀬をはやみ(崇徳院・百人一首77番)/ Garu JP
土手のさくらが 散りきった頃
君は遠くの 町へ行くと言った
川面を見つめて 黙り込む君に
「見てごらん」と 指をさした
岩にぶつかって 二つに分かれた
流れがまた ひとつになる
瀬をはやみ 岩にせかるる
滝川の水は 止められない
引き裂かれても 別々の道でも
流れの先で また会える
われても末に 逢はむとぞ思ふ
知らない街の 人混みの中
流されそうな 夜もあった
ポケットの中の 古い写真
あの日の川が 背中を押した
遠く離れた 空の下でも
同じ海へと 流れてる
瀬をはやみ 岩にせかるる
滝川の水は 止められない
早さも道も 違っていても
目指す海は ひとつだから
われても末に 逢はむとぞ思ふ
遠い昔に 海の向こうへ
流された人が いたという
帰りたい都に 帰れないまま
それでも「逢おう」と 歌に刻んだ
叶わなかった 約束が
時の川をくだり 今も光る
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
瀬をはやみ 岩にせかるる
滝川の水は 止められない
駆けてくる足音 振り向く前に
名前を呼ばれた あの日の声で
われても末に 逢はむとぞ思ふ
瀬をはやみ 岩にせかるる
ふたつの流れが いま重なる
君の右手と 僕の左手
われても末に 逢えたから
今日から先は ひとつの川
逢はむとぞ思ふ……
逢はむとぞ思ふ……