皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)は、崇徳天皇の皇后・皇嘉門院聖子に仕えた女房で、平安末期・12世紀後半の歌人。生没年は伝わらない。この歌は「旅宿に逢ふ恋」という題で詠まれた題詠で、『千載和歌集』恋三・807に収められた。難波江(大阪湾の入り江)は蘆の名所であり、澪標(みおつくし=船に航路を示す杭)の立つ港でもあった。「かりね=刈り根/仮寝」「ひとよ=一節/一夜」「みをつくし=澪標/身を尽くし」と、三十一文字のうちに三つの掛詞と縁語を織り込んだ、平安和歌の技巧の粋のような一首。撰者は藤原俊成、崇徳院の悲劇(保元の乱・讃岐配流)の記憶もまだ生々しい時代だった。
「難波江の蘆の刈り根の一節のような、たった一夜の仮寝のせいで、澪標のように身を尽くして、この先ずっと恋い続けるのでしょうか」。答えは書かれていない。「恋ひわたるべき」と問いかけたまま、歌は終わる。題詠であり実体験とは限らないが、旅先の宿での一夜という設定に、身分ある女房が「たった一晩で人生が変わってしまうことがある」という怖さと甘さを託した。技巧の多さは、感情の多さでもある。
かおるの注文は「小さな旅を想起させる、女性の詩」。この歌の「仮寝=旅先の一夜」がぴったりだった。歌詞では、最終の船を見送った知らない港町の宿で、相席した旅の人と夜が更けるまで話しただけ——連絡先も聞かないまま、月曜の朝には日常に戻る。それなのに潮の香りをまだ連れている。かおるとクロコが一番こめたかったのは、原歌が答えを出さない問いを、こちらも答えないまま受け取ること。ラスサビは「答えはきっと出ないままでいい」。そのかわり「澪標」の本来の意味——船を導く航路の目印——を使って、一夜の痛みを損ではなく「また旅に出るための目印」に変えた。Bridgeでは千年前の宿で同じ問いを歌った人がいて、その声はまだ返事を待っている、と歌う。「潮の香りが まだ髪にいる」は歌声の都合で「潮の香りを まだ連れている」に変えたが、それが結果的に「探す相手/連れている香り」の対比を生んだ。偶然も旅のうち。
難波江の(千載集/皇嘉門院別当・百人一首88番)Garu JP
最終の船を 見送って
知らない港に 灯がともる
一晩だけの 宿の窓
波の音だけ 聞こえてくる
宿の食堂で 相席したひと
旅の話で 夜がふけた
難波江の 蘆のかりねの
ひとよゆゑ 眠れずにいる
たった一夜の 語らいなのに
波の音より 声が残る
これが恋なら どうしよう
月曜の朝の 改札口
いつもの日々に 戻ったのに
似た後ろ姿 探してしまう
潮の香りを まだ連れている
連絡先も 聞かないままで
名前ひとつが 胸に灯る
難波江の 蘆のかりねの
ひとよゆゑ みをつくしてや
身を尽くすほど 焦がれるなんて
ばかみたいねと 笑ってみても
目を閉じれば あの港にいる
千年前の 港の宿で
同じ痛みを 歌ったひとがいた
「恋ひわたるべき?」 問いかけた声は
まだ答えを 待っている
難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ
みをつくしてや 恋ひわたるべき
難波江の 蘆のかりねの
ひとよゆゑ 恋ひわたるべき
答えはきっと 出ないままでいい
この痛みは 澪標
また旅に出る 目印になる
みをつくしてや……
恋ひわたるべき