寂蓮法師(俗名・藤原定長、1139頃-1202)は藤原俊成の甥にして養子、定家の義兄にあたる平安末〜鎌倉初期の歌人・僧。『新古今和歌集』の撰者に選ばれながら完成を見ずに没した。この歌は「秋の夕暮れ」で結ばれる三首の名歌「三夕の歌」の一首(あとの二首は西行「心なき身にも」、定家「見渡せば」)。『新古今和歌集』秋下・491。にわか雨が過ぎ、槙(常緑の針葉樹)の葉に露が残り、そこへ山裾から白い霧が立ちのぼる——雨が露に、露が霧に、水が姿を変える数分間を三十一文字に閉じ込めた、新古今の叙景歌の到達点。
「にわか雨が通り過ぎ、その露もまだ乾かない槙の葉のあたりに、霧が白く立ちのぼっていく——秋の夕暮れよ」。この歌は「寂しい」とも「美しい」とも言わない。感情語をひとつも置かず、視線を葉先の露から山の霧へと上げていくだけで、秋の夕暮れの静けさを立ち上がらせる。出家した歌人が山の庵で、雨上がりの一瞬をただ見ていた。言わないことで、いちばん深いところに届く——その沈黙こそがこの歌の心情である。
かおるとクロコがこの曲で守ろうとしたのは、原歌と同じ「感情の言葉を一切使わない」という規律だった。詩人レビューを三往復して、「悲しい」「やさしい」「贈りもの」「教えてくれる」をすべて景と動作に翻訳し、「一番見せたいものこそ言わない」(きらめくと書かずに「雫が夕陽をまとう」)を貫いた。歌詞に入れた唯一の意志は「息をひとつ 置いていこう」だけ。雨上がりの街を三拍子のワルツにしたのは、立ちのぼる霧が渦を巻くように、洗われた街がゆっくり回転して見えたから——サビの「まわる まわる 霧のなかで」がその回転で、時間は数字でなく「まばたきひとつ」で測った。Bridgeの「いにしえの人も 山の庵で 同じ霧を見ていた/その目をいま 借りている」は、八百年前の寂蓮の視線を今日の誰かが借りて立ち止まる、というこの曲の発明で、ラスサビ「庵の人と 同じまばたき/借りた目で いま見ている」で回収する。男女のデュエットにしたのは、この静けさが誰かひとりのものでなく、街じゅうの誰もが同時に受け取っているものだから。
村雨の(新古今集/寂蓮法師・百人一首87番)Garu JP
夕立の あとの 帰り道
濡れたベンチに 空が揺れる
傘をたたんで 息を吸えば
雨の匂いが 胸にひろがる
急いだ足が ふと止まって
洗われた街が 静かになる
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
雫がひとつ 夕陽をまとい
ひとつ落ちて 街がゆっくり
まわる まわる 霧のなかで
息をひとつ 置いていこう
街のざわめき 雨だれの奥
濡れた並木を くぐって歩く
うつむいていた 一日の重さ
葉先の雫が ほどいて揺れる
乾くまでの 露のきらめき
まばたきひとつ くるりと消える
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
湯気ゆらぐ路面 白いベール
街も山も 息を整え
まわる まわる 霧のなかで
この静けさを 覚えていよう
いにしえの人も 山の庵で
同じ霧を 見ていた
言葉少なに ただ佇んで
その目をいま 借りている
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
消えるまでの ひかりのすべて
庵の人と 同じまばたき
まわる まわる 霧のなかで
借りた目で いま見ている
霧立ちのぼる……
秋の夕暮れ
まわる まわる 霧のなかへ