曲になった歌は、歌の行から作品ページ(意味・現代語訳・時代背景・歌詞・ミュージックビデオ)へ進めます。
| 番号 | 上の句・下の句 | 歌人 | 現代語訳 | 決まり字 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ♪ 「秋の田の」を聴く | 天智天皇 | 秋の田のほとりの仮小屋で番をしていると、屋根の苫の編み目が粗いので、私の袖は夜露に濡れ続けている。 | あきの |
| 5 | 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき♪ 「奥山に」を聴く | 猿丸大夫 | 人里離れた奥山で、散り敷いた紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くときこそ、秋の悲しさが身にしみる。 | おく |
| 17 | ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは♪ 「ちはやぶる」を聴く | 在原業平朝臣 | 神代の昔でさえ聞いたことがない。竜田川が紅葉を散り流し、水を鮮やかな紅色にくくり染めにするとは。 | ちは |
| 22 | 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ♪ 「吹くからに」を聴く | 文屋康秀 | 吹くとたちまち秋の草木がしおれてしまう。なるほど、山から吹き下ろす風を「嵐(荒らし)」と言うわけだ。 | ふ |
| 23 | 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど♪ 「月見れば」を聴く | 大江千里 | 月を見ていると、あれこれと際限なく物事が悲しく思われる。秋は私ひとりのためにやって来たわけではないのだけれど。 | つき |
| 29 | 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 近日公開 | 凡河内躬恒 | 当て推量で折るなら折ってみようか。初霜が降りて見分けがつかなくなった、白菊の花を。 | こころあ |
| 32 | 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり 近日公開 | 春道列樹 | 山あいの川に風が架けた流れ止めの柵——それは流れきれずに集まった紅葉だったのだ。 | やまが |
| 37 | 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける♪ 「白露に」を聴く | 文屋朝康 | 白露に風がしきりに吹きつける秋の野は、まるで緒で貫き留めていない玉が散り乱れているようだ。 | しら |
| 47 | 八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり♪ 「八重葎」を聴く | 恵慶法師 | 幾重にも雑草が生い茂った寂しい宿に、人は誰も訪れないが、秋だけはやって来たのだなあ。 | やへ |
| 69 | 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり 近日公開 | 能因法師 | 嵐が吹き散らした三室山の紅葉が、竜田川の水面を錦のように染め上げている。 | あらし |
| 70 | さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ♪ 「さびしさに」を聴く | 良暹法師 | 寂しさに耐えかねて庵を出て眺めてみれば、どこも同じ寂しさに包まれた、秋の夕暮れだった。 | さ |
| 71 | 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く♪ 「夕されば」を聴く | 大納言経信 | 夕方になると、門前の田の稲葉をそよがせて、芦ぶきの粗末な小屋に秋風が訪れて吹いてくる。 | ゆふ |
| 79 | 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ♪ 「秋風に」を聴く | 左京大夫顕輔 | 秋風に吹かれてたなびく雲の切れ間から、漏れ出てくる月の光の、なんと澄み渡って明るいことか。 | あきか |
| 87 | 村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ 近日公開 | 寂蓮法師 | 村雨の露もまだ乾かない槙の葉に、霧が立ちのぼる、秋の夕暮れ。 | む |
| 91 | きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む 近日公開 | 後京極摂政前太政大臣 | こおろぎが鳴く霜の降りた寒い夜、むしろの上に衣の片袖を敷いて、私はひとり寂しく寝るのだろうか。 | きり |
| 94 | み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり 近日公開 | 参議雅経 | み吉野の山に秋風が吹き、夜も更けて、かつての都は寒々と、衣を打つ砧の音が聞こえてくる。 | みよ |
部立てで「秋」に分類される歌は16首で、春(6首)・夏(4首)・冬(6首)を大きく引き離して四季の中で最多です。恋や雑の歌でも秋の情景を詠むもの(第3番「あしびきの」、第21番「今来むと」など)を含めると、秋を舞台にした歌は22首になります。
秋の歌では第5番「奥山に」(猿丸大夫)、第17番「ちはやぶる」(在原業平)、第32番「山川に」(春道列樹)、第69番「嵐吹く」(能因法師)の4首です。このうち第17番と第69番はどちらも紅葉の名所・竜田川を詠んでいます。このほか旅の歌(羈旅)に分類される第24番「このたびは」(菅家)も、手向山の紅葉を錦に見立てた紅葉の名歌です。
第70番「さびしさに」(良暹法師)と第87番「村雨の」(寂蓮法師)の2首が、下の句を「秋の夕暮れ」で結んでいます。どちらも情景だけを描いて感情を語らない、余情を重んじる歌風の代表です。
勅撰和歌集では春と秋にそれぞれ上下2巻をあてるのが通例で、そもそも秋の歌の蓄積が多いことに加え、選者の藤原定家が、寂しさや余情を映す秋の歌を好んだためと考えられています。