▶大僧正行尊(1055〜1135)は平安時代後期の僧で、三条天皇の曾孫にあたる。十二歳で出家して園城寺(三井寺)に入り、若いころから大峰山や熊野などの険しい山々をめぐる修験の修行を重ねた。のちに天台座主・大僧正にまで昇り、加持祈祷の力でも知られた。この歌は『金葉和歌集』雑上に入り、詞書には「大峰にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる」とある。人が入らない修行の山奥で、思いがけず咲いている山桜に出会ったときの歌。
「もろともに」は、おたがいに、いっしょに。「あはれと思へ」は、しみじみと愛おしく思ってくれ。私がおまえを愛おしく思うように、おまえも私を思ってくれ、と山桜に呼びかけている。「花よりほかに知る人もなし」は、この山奥では、おまえのほかに私を知る者はいない、という意味。誰にも見られずに咲く桜と、誰にも知られずに修行する自分。ひとりきりの者どうしが、深い山の中でふと出会い、心を通わせようとしている。
この歌に惹かれたのは、厳しい修行の途中で、行尊が人ではなく一本の桜に話しかけたところでした。返事をしない相手に「いっしょに」と呼びかけるのは、それだけ深くひとりだったからだと思います。でも、誰にも見られずに咲いていた桜の側から見れば、行尊もまた、はじめて自分に気づいてくれた人でした。歌詞では、その出会いを今の霧の山道に重ねました。ひとりと、ひとつ。孤独な者どうしが出会うと、「知る人もなし」は、もう寂しいだけの言葉ではなくなる。霧が晴れて見えなかったものが見えてくるように、ひとりきりだと思っていた心がほどけていく瞬間を、神秘的で静かな高まりとして歌いました。
もろともに(金葉集/大僧正行尊・百人一首66番)Garu JP
霧の奥の 名前のない 道をゆく
熊よけの 鈴の音が 先をゆく
振り返れば 来た道も 白く 埋もれる
誰も知らない 山を ひとり のぼる
声を出せば 霧が 吸いこんでいく
その奥に ほのかな 灯りが ひとつ
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
咲いていたのか こんなところで
誰に 見せるでもなく
もろともに もろともに
ひとりと ひとつ
はるか昔 岩を踏み 滝に打たれた 僧がいた
険しい峰の その途中で
ひとひらの 薄紅に 足を 止めた
はじめて 誰かに 話しかけた
返事はない それでも 揺れていた
うなずくように 枝の先が
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
泣いたことも 笑ったことも
知っているのは 君だけ
もろともに もろともに
ここにいる
風が止む
霧が晴れる
谷いっぱいに
花びらが 降る
もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知る人もなし
ひとりきりだと 思ってた
見えなかった だけだった
もろともに もろともに
ひとりと ひとつ
山桜 知る人もなし