小野小町は平安前期・六歌仙のひとり。絶世の美女の代名詞として千年語り継がれるが、実像はほぼ謎で、残されたのは歌だけ。この歌は「花の色(桜)」と「わが身の美貌」、「ふる(雨が降る/時が経る)」「ながめ(長雨/物思い)」の二重三重の掛詞で編まれた、百人一首でも屈指の技巧歌である。
桜が長雨のうちに色あせるように、私の美しさも物思いにふけるうちに衰えてしまった——美と時間、老いへの嘆き。美の象徴とされた人自身が、美の儚さを誰より深く知っていた。
長雨の都で月日を見つめた小町のまなざしを、雨の日の片づけの途中、色あせた写真に手が止まる現代の午後に重ねました。狙いは、移ろいを嘆く歌のまま終わらせないこと。散った桜は土に還り、春が来ればまた花になる——「それでもいいと、今なら言える」。移ろいを嘆いた歌を、移ろいごと自分を抱きしめる歌として描き直しました。
花の色は(小野小町・百人一首9番)/ Garu JP
降りやまない 春の雨
片づけかけた 部屋のすみで
色あせた写真に 手が止まる
桜の下で 笑ってる私
あの日の私が まぶしすぎて
アルバムをそっと 閉じかけた
花の色は うつりにけりな
いたづらに ながめせしまに
降るのは雨か 経るのは時か
夢中で走った 季節の向こう
気づけば花は 散り始めてた
なりたい自分を 信じて描いた
鏡の前の 十七の春
恋も夢も 全部欲しくて
眠るのさえ 惜しかった日々
走り続けた 季節の外で
桜は何度 咲いたのだろう
花の色は うつりにけりな
いたづらに ながめせしまに
選ばなかった 道の先にも
違う私が 笑っていたかな
雨の窓辺に 頬づえをつく
遠い昔の 都のすみで
花の名で呼ばれた 人もまた
長雨の窓辺 頬づえをついて
過ぎゆく月日を 見つめていた
美しいものは 花と同じ
儚いからこそ 愛おしい
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
花の色は うつりにけりな
いたづらに ながめせしまに
降るのは雨か 経るのは時か
夢中で走った 季節の向こう
気づけば花は 散り始めてた
雨上がりの 窓を開ければ
濡れた花びら 光っている
散った桜は 土に還り
また春が来れば 花になる
花の色は うつりにけりな
いたづらに ながめせしまに
降るのは雨か 経るのは時か
夢中で走った
花の色は うつりにけりな
それでもいいと 今なら言える
降っては晴れる 雨のように
枯れてはめぐる 花のように
今日の私も きっと輝いている
ながめせしまに……
ながめせしまに……